2013年12月23日
八幡平・大里の不思議な四角

こちらは鹿角の名峰・五ノ宮岳(2008年撮影)。
その五ノ宮の手前にあるのは北林山というそうですが、そこに「?」なモノが写っているのにお気づきでしょうか?

山の中腹に四角い場所が。ここだけ木が生えていません。

夏の間でもわかりますが、雪が降ると四角部分が真っ白になるので、よりはっきりとわかります(こちらは最近の写真)。
(10円○ゲならぬ真四角○ゲのよう…)
山の上で傾斜がきつそうですが、かなりの広さがあります。
これって何

…と思ったら、すごい故事がありました

八幡平・大里部落の裏山(北林山)にあるこの場所は「オシキ」と呼ばれているのだそうです。
以下、その由来です。
昔々、1,500年も前のこと。
継体天皇の第五皇子菟皇子(うさぎのみこ)が都を追われ、母の吉祥姫(「だんぶり長者」の娘)の里に来て、ある山に登りました。
途中で馬が倒れてしまい、皇子は一人で山に登ったのですが、皇子もその後行方不明になってしまいました。
(後にその山が「五ノ宮岳」と呼ばれるようになったというわけです)
馬の倒れた場所は湿地で、「オバフトコ」と呼ばれています。
放牧された馬がここに入って草を食べたり水を飲んだりすると、なぜか次々に死んでしまいました。
大里部落の人が困っていたところ、お告げがあり、オバフトコから300mほど離れた、馬が入ることができない急斜面の草を刈り、刈った草はそのままにして馬に手向けるようにと言われました。
そうすれば部落に幸せが訪れる、と言われたそうです。
以来ずっと大里部落の人たちは、毎年8月7日の早朝に草刈りをするという行事を続けているとのことでした。
「オシキ」は四反歩もあるそうです。1,200坪


傾斜は相当きつく、かなりな重労働らしいです。
また、北林山の向かいに位置する久保田や尾去沢では、この草刈り後の枯れ具合を見て、その年の作柄の良否を占っていたそうです。
鹿角には歴史の古いものがたくさんありますが、「オシキ」の話も大変古い言い伝えです。
大日堂が創建された継体天皇の時代のことはよくわからないことが多く、ここで王朝の転換があったのではないかとも言われます。
日本書紀に伝えられる継体天皇のお妃たちの中に、吉祥姫と思われる名はありません。
しかし、「根王の娘 広媛」という妃が吉祥姫と同一人物ではないかとする説もあるのだそうで。
(その皇子に「菟皇子」の名がある)
それがホントだったかもしれないですよね。
…長くなりましたが、昔々のろまんなお話でした
