2014年06月11日
鴇鉱山跡地(小坂町)
小坂町の鴇(ときと)地区はぶどうやワイン等で有名で、のんびり探検隊でも今までに紹介されています。→コチラ
昔、ここに鉱山があったというので行ってみました。鴇集落側からは道路事情により困難のようで、鹿角市十和田山根側から入っていきます。右の建物が十和田小学校山根分校(現在は閉校)、左が山根保育園(ここも閉園)です。この間の道を進んでいきます。
どこまでもまっすぐに続く道。話によると、ここにトロッコの軌道があったといいます。だからどこまでもまっすぐなんですね。そして数分後、道の右側に標柱が出てきました。(クリックすると画像が大きく鮮明になります)
江戸時代に発見され、明治末期にたいへん栄えたということです。さらに進んでいくと、突き当たりのようになり、看板出現!そして奥にはズリ山というのでしょうか。鉱物系の黒光りした小山がありました。
このズリ山に登ってみると、人為的にアポロ型(古い!)に成形された形のものが散乱していました。あるものは横になっていたり、あるものは山に半分埋まっていたり。大きさは40センチほど。何十もありました。どういうわけなのでしょう?
ズリ山の後ろの杉林の中を数メートル上がったところにどどーんとそれはありました!れんが造りの大煙突です。15メートルくらいあるでしょうか。事情が分からなければ、山林の中になぜこんなものが!と誰しもびっくりすることでしょう。
西洋の昔話に出てくる塔のようでもあります。てっぺんにお姫様が幽閉されているかもしれません。
ご覧のように立ち入り禁止となっています。ロープ内に入ってはいけません。
てっぺんは崩れかかっています。れんがが落下する恐れ大です。また、下部の焼却物入れ口?も崩れています。
全盛期には、大勢の人々が暮らし、学校も病院もあったといいます。看板には明治末期の写真がありました。現在、小鳥のさえずりのみがひびくこの山あいの谷間に、かつては人々の活気ある声が行き交っていたんですね。
浦島次郎でした。
昔、ここに鉱山があったというので行ってみました。鴇集落側からは道路事情により困難のようで、鹿角市十和田山根側から入っていきます。右の建物が十和田小学校山根分校(現在は閉校)、左が山根保育園(ここも閉園)です。この間の道を進んでいきます。
どこまでもまっすぐに続く道。話によると、ここにトロッコの軌道があったといいます。だからどこまでもまっすぐなんですね。そして数分後、道の右側に標柱が出てきました。(クリックすると画像が大きく鮮明になります)
江戸時代に発見され、明治末期にたいへん栄えたということです。さらに進んでいくと、突き当たりのようになり、看板出現!そして奥にはズリ山というのでしょうか。鉱物系の黒光りした小山がありました。
このズリ山に登ってみると、人為的にアポロ型(古い!)に成形された形のものが散乱していました。あるものは横になっていたり、あるものは山に半分埋まっていたり。大きさは40センチほど。何十もありました。どういうわけなのでしょう?
ズリ山の後ろの杉林の中を数メートル上がったところにどどーんとそれはありました!れんが造りの大煙突です。15メートルくらいあるでしょうか。事情が分からなければ、山林の中になぜこんなものが!と誰しもびっくりすることでしょう。
西洋の昔話に出てくる塔のようでもあります。てっぺんにお姫様が幽閉されているかもしれません。
ご覧のように立ち入り禁止となっています。ロープ内に入ってはいけません。
てっぺんは崩れかかっています。れんがが落下する恐れ大です。また、下部の焼却物入れ口?も崩れています。
全盛期には、大勢の人々が暮らし、学校も病院もあったといいます。看板には明治末期の写真がありました。現在、小鳥のさえずりのみがひびくこの山あいの谷間に、かつては人々の活気ある声が行き交っていたんですね。
浦島次郎でした。
Posted by のんびり探検隊2 at 09:00│Comments(0)
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