2015年02月11日
花輪の大堰
花輪は大雪です。
9日の朝、駐車場に駐めた自動車の屋根に、夕方までに50cmの雪が積もっていました。宿に帰ってやっとの思いで駐車場を掘り出しましたが、翌朝には新たに30cmの雪が積もっていました。雪に埋もれそうです。
さて、今回は雪で右往左往している人間達を尻目に、春夏秋冬、市街地を悠然と流れる花輪の名物、大堰(おおせき)を紹介します。
大堰については、安土桃山時代にその原型となる小さな溝が作られ、江戸時代に一向宗門徒が大規模な拡張工事を行って現在の姿が造られたとされています。花輪市街を南北に縦断して東から降り下る福士川と合流し、全長は約10kmと言われています。
市街地の南、花輪浄水場の近くに米代川からの取水口があり、市街地の北、国道282号の六月田橋で福士川と合流します。
今日は、福士川の合流地点から遡上していきます。
大堰は、コンクリートの水路で福士川を横断した後に合流します。
のんびり探検隊の本拠地、鹿角地域振興局(花輪字六月田)の裏手を流れます。
ほどなく、下堰向三ヶ寺(しもせきむかいさんかでら)の近くにいたります。
長福寺(曹洞宗 1596年創建)
圓徳寺(浄土宗 1616年創建)
専正寺(浄土真宗本願寺派(一向宗) 1589年開基)
大堰を今日の規模に拡大したのは、この寺の門徒の工事参加によると言われています。
やがて、飲食店街に入っいきます。
ネオンが輝く夜は、大堰に架けた橋を渡って店に入るのはおつなものです。
さらに進んで、「親不孝通り」に入っていきます。
この通りは、鉱山の町として栄えた花輪の繁華街として、多くの人で賑わった歓楽街でした。
ここまで店の前にあった大堰は、ここから背後に隠れます。
幸楽は地元は言うに及ばず、全県、全国にファンが多い、おいしいホルモン料理のお店です。
「親不孝通り」(写真左奥)が終わると大堰が、再び通りに出てきます。
花輪駅前に続く市道を横切って進んでいきます(花輪字堰向)。
やがて、国道282号と交差する地点に至ります。
国道をくぐって、住宅街を進んでいきます。(花輪字上中島・上花輪)
整骨院にも大堰に架けた橋をわたって入ります。
稲村橋を経て尾去沢方面に至る県道(十二所花輪大湯線)を横切って、新田町に入っていきます。
花輪市街の南端が近くなります。
この先は、米代川と国道282号の間に田園が広がり、やがて取水口に至ります。
大堰は、花輪の街の防火用水路、田畑の灌漑用水路、生活用水路として、また、やすらぎと憩いの場として、時代を超えて花輪の人々生活を支え、彩っています。
ウォークマンでした。
9日の朝、駐車場に駐めた自動車の屋根に、夕方までに50cmの雪が積もっていました。宿に帰ってやっとの思いで駐車場を掘り出しましたが、翌朝には新たに30cmの雪が積もっていました。雪に埋もれそうです。
さて、今回は雪で右往左往している人間達を尻目に、春夏秋冬、市街地を悠然と流れる花輪の名物、大堰(おおせき)を紹介します。
大堰については、安土桃山時代にその原型となる小さな溝が作られ、江戸時代に一向宗門徒が大規模な拡張工事を行って現在の姿が造られたとされています。花輪市街を南北に縦断して東から降り下る福士川と合流し、全長は約10kmと言われています。
市街地の南、花輪浄水場の近くに米代川からの取水口があり、市街地の北、国道282号の六月田橋で福士川と合流します。
今日は、福士川の合流地点から遡上していきます。
大堰は、コンクリートの水路で福士川を横断した後に合流します。
のんびり探検隊の本拠地、鹿角地域振興局(花輪字六月田)の裏手を流れます。
ほどなく、下堰向三ヶ寺(しもせきむかいさんかでら)の近くにいたります。
長福寺(曹洞宗 1596年創建)
圓徳寺(浄土宗 1616年創建)
専正寺(浄土真宗本願寺派(一向宗) 1589年開基)
大堰を今日の規模に拡大したのは、この寺の門徒の工事参加によると言われています。
やがて、飲食店街に入っいきます。
ネオンが輝く夜は、大堰に架けた橋を渡って店に入るのはおつなものです。
さらに進んで、「親不孝通り」に入っていきます。
この通りは、鉱山の町として栄えた花輪の繁華街として、多くの人で賑わった歓楽街でした。
ここまで店の前にあった大堰は、ここから背後に隠れます。
幸楽は地元は言うに及ばず、全県、全国にファンが多い、おいしいホルモン料理のお店です。
「親不孝通り」(写真左奥)が終わると大堰が、再び通りに出てきます。
花輪駅前に続く市道を横切って進んでいきます(花輪字堰向)。
やがて、国道282号と交差する地点に至ります。
国道をくぐって、住宅街を進んでいきます。(花輪字上中島・上花輪)
整骨院にも大堰に架けた橋をわたって入ります。
稲村橋を経て尾去沢方面に至る県道(十二所花輪大湯線)を横切って、新田町に入っていきます。
花輪市街の南端が近くなります。
この先は、米代川と国道282号の間に田園が広がり、やがて取水口に至ります。
大堰は、花輪の街の防火用水路、田畑の灌漑用水路、生活用水路として、また、やすらぎと憩いの場として、時代を超えて花輪の人々生活を支え、彩っています。
ウォークマンでした。
Posted by のんびり探検隊2 at 08:30│Comments(2)
│文化
この記事へのコメント
幼少時代に買い物に行くとしたら小豆澤駅から汽車(蒸気機関車)に乗って花輪へ行くのが普通の生活でした。大堰が一向宗徒が作った人工的な運河?とは初めて知りました。夜、行ったことはありませんが「親不孝通り」に多くの飲み屋やバーなどがあった記憶はあります。故郷を離れても、このブログで多くのことを学んでおります。感謝です。
Posted by 凧男 at 2015年02月11日 10:27
凧男さま
毎度コメントありがとうございます。
毎日のように街中を蒸気機関車が走っていたらどれほどいい毎日でしょう。
親不孝通り、まだまだ元気にやっております。素敵な店もたくさんありますので機会があれば酒場放浪にいらしてください。
毎度コメントありがとうございます。
毎日のように街中を蒸気機関車が走っていたらどれほどいい毎日でしょう。
親不孝通り、まだまだ元気にやっております。素敵な店もたくさんありますので機会があれば酒場放浪にいらしてください。
Posted by のんびり探検隊2 at 2015年02月18日 08:41
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