2013年08月15日
鹿角の偉人銅像 2
以前、鹿角の偉人銅像を紹介しましたが、 → コチラ 大変な人を1人忘れていました。二宮尊徳(通称 金次郎)です。江戸時代後期(1787~1856)の農政家、思想家です。至誠(心を誠・徳・仁の状態におくこと)・勤労(至誠が行動となって現れたもの)・分度(ぜいたくを慎むこと)・推譲(残った剰余を他に譲ること)を理念とする「報徳思想」の開祖です。
昔はどこの小学校にも銅像があったように思いますが、薪を背負ったまま本を読んで歩いていると交通安全上問題があるなどの理由から、1970年代以降、校舎の建て替え時などに撤去されていったそうです。現在、鹿角管内には3体の銅像が残っています。北から順に大湯小学校、花輪小学校、八幡平小学校です。
大湯小学校の二宮さん。建立時期ははっきりしませんが昭和26年にこの地に新校舎が建てられているのでその頃かと思います。玄関からグラウンドに降りていく途中、左側にあります。とにかく台座が高いです!
お顔は少年時代真っ盛りの中学年という感じです。視線が本と前方の両方を見ている感じです。
花輪小学校の二宮さん。昭和15年建立です。皇紀2600年記念らしいです。坂を上って校門の右側にあります。最後の写真を見ていただくと分かるのですが、台座が新しく立派になっています。
お顔が3体の中でも幼い感じがします。低学年という感じでかわいらしいですね。視線が本に集中しています。
八幡平小学校の二宮さん。昭和27年に旧長谷川小学校に建立されたものが、昭和52年に現統合八幡平小学校に移転されました。校舎からグラウンドを隔てた向こう側にあります。台座は石積みのどっしりしたものです。
お顔はちょっと面長で高学年を感じさせます。視線が前方で、自分の進むべき道をしっかりと見ている気がします。
長い間、子どもたちの登下校や活動を見守ってきた二宮尊徳(金次郎)像。3体3様という感じを受けましたが、現在残っている3体がいつまでも保存され、子どもたちを見守り続けることを願っています。
(花輪小学校の旧校舎時代の二宮さん)
浦島次郎でした。
昔はどこの小学校にも銅像があったように思いますが、薪を背負ったまま本を読んで歩いていると交通安全上問題があるなどの理由から、1970年代以降、校舎の建て替え時などに撤去されていったそうです。現在、鹿角管内には3体の銅像が残っています。北から順に大湯小学校、花輪小学校、八幡平小学校です。
大湯小学校の二宮さん。建立時期ははっきりしませんが昭和26年にこの地に新校舎が建てられているのでその頃かと思います。玄関からグラウンドに降りていく途中、左側にあります。とにかく台座が高いです!
お顔は少年時代真っ盛りの中学年という感じです。視線が本と前方の両方を見ている感じです。
花輪小学校の二宮さん。昭和15年建立です。皇紀2600年記念らしいです。坂を上って校門の右側にあります。最後の写真を見ていただくと分かるのですが、台座が新しく立派になっています。
お顔が3体の中でも幼い感じがします。低学年という感じでかわいらしいですね。視線が本に集中しています。
八幡平小学校の二宮さん。昭和27年に旧長谷川小学校に建立されたものが、昭和52年に現統合八幡平小学校に移転されました。校舎からグラウンドを隔てた向こう側にあります。台座は石積みのどっしりしたものです。
お顔はちょっと面長で高学年を感じさせます。視線が前方で、自分の進むべき道をしっかりと見ている気がします。
長い間、子どもたちの登下校や活動を見守ってきた二宮尊徳(金次郎)像。3体3様という感じを受けましたが、現在残っている3体がいつまでも保存され、子どもたちを見守り続けることを願っています。
(花輪小学校の旧校舎時代の二宮さん)
浦島次郎でした。
Posted by のんびり探検隊2 at 10:00│Comments(0)
│文化
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