2013年06月07日
鹿角の偉人銅像
おそらく鹿角には偉人の銅像が4つあると思われます。4人とも各分野ですばらしい業績を残しています。後年、業績を讃えて銅像が建立されました。生誕年が古い順に紹介します。
浅利佐助(あさりさすけ)翁
1844(弘化元)~1920(大正9)
本名重次郎。県内ナンバーワンの醤油醸造、浅利佐助商店「フクジュ」の創始者です。魚屋に生まれましたが、一般家庭で醤油が使用される時代になるであろうことを見抜き、醸造業を始め、天秤をかつぎ鹿角の村々をまわって醤油を売り歩いたといいます。
醸造用大樽2つを背にして、明治5年創業の社屋を見つめています。昭和27年建立。(花輪観音堂)
和井内貞行(わいないさだゆき)翁
1858(安政5)~1922(大正11)
魚の棲まなかった十和田湖にヒメマスを養殖した方です。苦節20年余、帰ってきたカバチェッポ(ヒメマス)の群れを発見、名言「われ幻の魚を見たり」は映画にもなりました。十和田湖住民の飢饉を救うと共に十和田湖観光発展に尽力しました。
幾多の十和田湖へ向かう観光客を十和田南駅前で見送ってきました。昭和35年建立。(十和田錦木浜田)
内藤湖南(ないとうこなん)翁
1866(慶応2)~1934(昭和9)
本名虎次郎。新聞記者、そして国費で中国・台湾・満州情勢を取材したジャーナリスト。その後、京都大学教授となり東洋史学の世界的権威として「支那論」等の論文を多く残しています。「大地はさわやか湖南の地」と十和田小学校の校歌にも歌われています。
旧宅「蒼龍窟」前で。毛馬内柏崎新城本丸のすぐそばです。平成23年建立。(十和田毛馬内柏崎)
立山弟四郎(たてやまていしろう)翁
1867(慶応3)~1937(昭和12)
私立立山文庫を創設し、青少年の教養を高めた功績は大きく、「鹿角市立立山文庫継承十和田図書館」が十和田図書館の正式名称となっています。また、十和田湖の国立公園指定に尽力、秋田鉄道(現花輪線)重役として交通の発展に寄与したことでも知られています。
十和田図書館玄関内左側に設置され、入館者を迎えてきました。昭和33年建立。(十和田毛馬内上陣場)
鹿角市先人顕彰館では和井内貞行翁、内藤湖南翁の常設展示がありますし、浅利佐助翁、立山弟四郎翁を含む鹿角の先人の紹介や展示をしています。ぜひ足をお運び下さい。 → コチラ
浦島次郎でした。
浅利佐助(あさりさすけ)翁
1844(弘化元)~1920(大正9)
本名重次郎。県内ナンバーワンの醤油醸造、浅利佐助商店「フクジュ」の創始者です。魚屋に生まれましたが、一般家庭で醤油が使用される時代になるであろうことを見抜き、醸造業を始め、天秤をかつぎ鹿角の村々をまわって醤油を売り歩いたといいます。
醸造用大樽2つを背にして、明治5年創業の社屋を見つめています。昭和27年建立。(花輪観音堂)
和井内貞行(わいないさだゆき)翁
1858(安政5)~1922(大正11)
魚の棲まなかった十和田湖にヒメマスを養殖した方です。苦節20年余、帰ってきたカバチェッポ(ヒメマス)の群れを発見、名言「われ幻の魚を見たり」は映画にもなりました。十和田湖住民の飢饉を救うと共に十和田湖観光発展に尽力しました。
幾多の十和田湖へ向かう観光客を十和田南駅前で見送ってきました。昭和35年建立。(十和田錦木浜田)
内藤湖南(ないとうこなん)翁
1866(慶応2)~1934(昭和9)
本名虎次郎。新聞記者、そして国費で中国・台湾・満州情勢を取材したジャーナリスト。その後、京都大学教授となり東洋史学の世界的権威として「支那論」等の論文を多く残しています。「大地はさわやか湖南の地」と十和田小学校の校歌にも歌われています。
旧宅「蒼龍窟」前で。毛馬内柏崎新城本丸のすぐそばです。平成23年建立。(十和田毛馬内柏崎)
立山弟四郎(たてやまていしろう)翁
1867(慶応3)~1937(昭和12)
私立立山文庫を創設し、青少年の教養を高めた功績は大きく、「鹿角市立立山文庫継承十和田図書館」が十和田図書館の正式名称となっています。また、十和田湖の国立公園指定に尽力、秋田鉄道(現花輪線)重役として交通の発展に寄与したことでも知られています。
十和田図書館玄関内左側に設置され、入館者を迎えてきました。昭和33年建立。(十和田毛馬内上陣場)
鹿角市先人顕彰館では和井内貞行翁、内藤湖南翁の常設展示がありますし、浅利佐助翁、立山弟四郎翁を含む鹿角の先人の紹介や展示をしています。ぜひ足をお運び下さい。 → コチラ
浦島次郎でした。
Posted by のんびり探検隊2 at 10:00│Comments(0)
│文化
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