2013年04月28日
「北の大地」は鹿角に在り~はじめまして鹿角のみなさま~
この青年の職業は何だと思いますか?
そうです、彼の職業はシェフです。
いいえ。
何を隠そう、彼は、デフリンピックアルペンスキー競技のジュニアの世界チャンピオンです!!
彼の名前は北城大地(きたじょうだいち)さんです。
デフリンピックというのは、耳の聞こえない方々のオリンピックのことをいいます。
ジュニアというのは16~20歳までが対象で、来年まではジュニアの対象になります。
滑っているときの北城さんです。
出身は青森県弘前市。
「高校を卒業した後、東京の職業訓練校に通い、ビジネスや経理やマナーなど、色々習いました。体を動かすことができ、トレーニングにもなる仕事がよいと思い、今の会社を選びました。」
スキーの練習ができる環境を求めて、この4月から鹿角に移ってきています!
私Kurayaは、二北(第二北部自動車学校)にいる時に、先生から言われました。
「今度耳の聞こえない方が入ってくるよ」と。
Kurayaは、「へ~」と思いつつ教習に臨んでいました(仮免に落ちましたため必死でありました)
それから数日後、場内を運転中に、また先生がKurayaに話しかけてきました。
先生「手話で11ってどうやるの?」
Kuraya「え~と、1、2、3・・・」
先生「あっ、ここ一時停止だからね。」(手を動かしている間に一時停止を見落とす)
Kuraya「(・・・い~ま~聞~い~て~く~る~なぁぁあ~)」 実習が終わった後に先生が言いました。
「彼がその聞こえない人だよ。」
その日の実習がすべておわり、Kurayaは話しかけてみました。
「あなたは手話で話しますか?」
Kurayaの手話はへたくそなのですが、この質問をしました。というのは、聞こえない方がみなさん手話で話をするわけではないからです。
聞こえない方でも手話で話をしない方もいます。
Kurayaは耳の聞こえない方のコミュニティーが鹿角にあるかを知りませんでした。
聞こえない方であっても、手話に出会う場面がなければ手話で話すことがなく大人になる方もいます。
それから友達になりました。
友達や、知っている人が誰もいないところに引っ越してきたばかりのときは、結構不安になりますし、不安になるから余計にエネルギーを使ってしまいます。
同じ日に合宿免許で鹿角に来た人がいなかったため、時期外れでKurayaもホテルで一人で過ごしていましたから、Kurayaにとっても話し相手ができてラッキーでしたし、北城さんにとっても話し相手がいないよりはよかったのではないかと思っています。
先週、寒かった日に、北城さん宅に遊びに行きました。晩御飯にすきやき頂きまして、テレビを観ながら色々話をしました。北城さんの部屋は窓が二重で、半袖で過ごせるくらい暖かかったです。
そして、先週、再び寒かった日に、再び泊まりにいきました。翌日はアスピーテラインの開通式でしたが、式を行っただけで通行できない状態でした。食材を買いに行って晩御飯を頂きました。
これです。
晩御飯です。朝ごはんではありません。
その時に北城さんがこんな話をしてくれました。 「僕から何も言っていないのに、会社の人が、手話講習会を開いてくれることになった」 と。
私は、基本的には体験してみようというイベントを好みません。目が見えない人の体験をしてみよう、というものについては特にそうでした。というのも、体験者に恐怖心を植え付けてしまうため、目の見えない方々の可能性を狭めてしまうからです。本当は料理が好きで、料理ができる目の見えない方が、周りから「危ないから」と禁止されて悲しい、と話してくれたことがありました。
ですが、耳が聞こえない、という体験に関しては、してみてもよいのかもしれないと思うようになりました。昨年、聾学校の先生が、聴者に対して、ヘッドフォンをつけて周りの音を遮断させてみる、ということをした、と発表されていたからです。
周りとコミュニケーションがとれない、という経験については効果的に体験できるのかもしれません。
ぜひ、このような、聞こえない人を知ろうとする集まりや、聞こえない人との関わりを深めようとする集まりが、広く鹿角に広がっていったらよいなと思っています。
私は、手話が将来、鹿角の人々にとって力になるのではないか、と考えています。秋田県全体に関してもそれはいえるのではないか、と。最も高齢化が進むとされている県だからです。「耳が遠くなる」ことになっても、手話で会話ができる、色々な世代の人が話せる、そんな鹿角の手話が生まれてもよいかと思っています。これについてはまたいつか。
北城さんは、スキー競技を続けたいので、鹿角でずっと暮らしていきたいと希望しています。
どこかでお会いした際などには、ぜひ手を挙げてあいさつをしてあげてください。 困ってそうなときには「手話ができないから」といきなり背を向けるのではなくて、紙とペンを出してあげてください。
どうすれば一番シンプルに伝わるかな、と考えてみてください(たとえば「私は」と書くと、みなさんなのか北城さんなのか、どっち?となってしまうこともあるかもしれません)。
一緒に北城さんを応援しましょう!
そして、時と場合によっては、そっと見守ってあげてくださいね。
北城さんからのメッセージです。
「デフリンピックが2年後に開かれると思います。高校2年生の時には、デフリンピックが中止になってしまいました。2年後のデフリンピックが初めてになりますが、がんばって賞状をもらいたいと思います。 皆さん、応援よろしくお願いします。 」
楽しい連休をお過ごしください!!
仮免取得を目指す北城さんを応援するブログ作成仮免中のKuraya
そうです、彼の職業はシェフです。
いいえ。
何を隠そう、彼は、デフリンピックアルペンスキー競技のジュニアの世界チャンピオンです!!
彼の名前は北城大地(きたじょうだいち)さんです。
デフリンピックというのは、耳の聞こえない方々のオリンピックのことをいいます。
ジュニアというのは16~20歳までが対象で、来年まではジュニアの対象になります。
滑っているときの北城さんです。
出身は青森県弘前市。
「高校を卒業した後、東京の職業訓練校に通い、ビジネスや経理やマナーなど、色々習いました。体を動かすことができ、トレーニングにもなる仕事がよいと思い、今の会社を選びました。」
スキーの練習ができる環境を求めて、この4月から鹿角に移ってきています!
私Kurayaは、二北(第二北部自動車学校)にいる時に、先生から言われました。
「今度耳の聞こえない方が入ってくるよ」と。
Kurayaは、「へ~」と思いつつ教習に臨んでいました(仮免に落ちましたため必死でありました)
それから数日後、場内を運転中に、また先生がKurayaに話しかけてきました。
先生「手話で11ってどうやるの?」
Kuraya「え~と、1、2、3・・・」
先生「あっ、ここ一時停止だからね。」(手を動かしている間に一時停止を見落とす)
Kuraya「(・・・い~ま~聞~い~て~く~る~なぁぁあ~)」 実習が終わった後に先生が言いました。
「彼がその聞こえない人だよ。」
その日の実習がすべておわり、Kurayaは話しかけてみました。
「あなたは手話で話しますか?」
Kurayaの手話はへたくそなのですが、この質問をしました。というのは、聞こえない方がみなさん手話で話をするわけではないからです。
聞こえない方でも手話で話をしない方もいます。
Kurayaは耳の聞こえない方のコミュニティーが鹿角にあるかを知りませんでした。
聞こえない方であっても、手話に出会う場面がなければ手話で話すことがなく大人になる方もいます。
それから友達になりました。
友達や、知っている人が誰もいないところに引っ越してきたばかりのときは、結構不安になりますし、不安になるから余計にエネルギーを使ってしまいます。
同じ日に合宿免許で鹿角に来た人がいなかったため、時期外れでKurayaもホテルで一人で過ごしていましたから、Kurayaにとっても話し相手ができてラッキーでしたし、北城さんにとっても話し相手がいないよりはよかったのではないかと思っています。
先週、寒かった日に、北城さん宅に遊びに行きました。晩御飯にすきやき頂きまして、テレビを観ながら色々話をしました。北城さんの部屋は窓が二重で、半袖で過ごせるくらい暖かかったです。
そして、先週、再び寒かった日に、再び泊まりにいきました。翌日はアスピーテラインの開通式でしたが、式を行っただけで通行できない状態でした。食材を買いに行って晩御飯を頂きました。
これです。
晩御飯です。朝ごはんではありません。
その時に北城さんがこんな話をしてくれました。 「僕から何も言っていないのに、会社の人が、手話講習会を開いてくれることになった」 と。
私は、基本的には体験してみようというイベントを好みません。目が見えない人の体験をしてみよう、というものについては特にそうでした。というのも、体験者に恐怖心を植え付けてしまうため、目の見えない方々の可能性を狭めてしまうからです。本当は料理が好きで、料理ができる目の見えない方が、周りから「危ないから」と禁止されて悲しい、と話してくれたことがありました。
ですが、耳が聞こえない、という体験に関しては、してみてもよいのかもしれないと思うようになりました。昨年、聾学校の先生が、聴者に対して、ヘッドフォンをつけて周りの音を遮断させてみる、ということをした、と発表されていたからです。
周りとコミュニケーションがとれない、という経験については効果的に体験できるのかもしれません。
ぜひ、このような、聞こえない人を知ろうとする集まりや、聞こえない人との関わりを深めようとする集まりが、広く鹿角に広がっていったらよいなと思っています。
私は、手話が将来、鹿角の人々にとって力になるのではないか、と考えています。秋田県全体に関してもそれはいえるのではないか、と。最も高齢化が進むとされている県だからです。「耳が遠くなる」ことになっても、手話で会話ができる、色々な世代の人が話せる、そんな鹿角の手話が生まれてもよいかと思っています。これについてはまたいつか。
北城さんは、スキー競技を続けたいので、鹿角でずっと暮らしていきたいと希望しています。
どこかでお会いした際などには、ぜひ手を挙げてあいさつをしてあげてください。 困ってそうなときには「手話ができないから」といきなり背を向けるのではなくて、紙とペンを出してあげてください。
どうすれば一番シンプルに伝わるかな、と考えてみてください(たとえば「私は」と書くと、みなさんなのか北城さんなのか、どっち?となってしまうこともあるかもしれません)。
一緒に北城さんを応援しましょう!
そして、時と場合によっては、そっと見守ってあげてくださいね。
北城さんからのメッセージです。
「デフリンピックが2年後に開かれると思います。高校2年生の時には、デフリンピックが中止になってしまいました。2年後のデフリンピックが初めてになりますが、がんばって賞状をもらいたいと思います。 皆さん、応援よろしくお願いします。 」
楽しい連休をお過ごしください!!
仮免取得を目指す北城さんを応援するブログ作成仮免中のKuraya
Posted by のんびり探検隊2 at 07:13│Comments(0)
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