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2016年01月01日

鹿角の「さる」

のんびり探検隊2 ブログをご覧のみなさま。

新年あけましておめでとうございます。

2016年も鹿角・小坂に関する情報をたくさんお伝えしていきますので、今年もよろしくお願いします。



   

 さて、定番ですが「さるどし」サルなので、鹿角・小坂の「さる」の話題をひとつ。


 大湯環状列石の近く、観光りんご園が点在するあたりに「猿賀神社」(さるがじんじゃ)があります。
猿賀神社

 十和田高原りんご園さんや、土館果樹園さんのあたり県道沿いに、杉林が見えてくる場所です。
県道と猿賀神社

 猿賀神社の境内に由来などの表記がなかったので、秋田県神社庁のページから引用すると、
「御祭神は、猿田彦命(さるたひこのみこと)、田道将軍(たみちしょうぐん)、天宇都女命(あめのうずめのみこと)。

 創建の歴史は、社伝によれば、元亀3年申年5月に申ヶ野・五軒屋村にて創建。
 また、仁徳天皇55年に蝦夷の討賊に来た田道将軍の遺骸を葬った処に建立されたものとも考証。
 青森県の大社、猿賀神社は、この鹿角からご神体が流れついたものを祀ったとも伝えられている。」
(秋田県神社庁 猿賀神社)

猿賀神社
猿賀神社




 青森県の平川市(旧平賀町)にある猿賀神社。青森県の大社、たぶんこちらの「猿賀神社」が知られていると思います。
平川市 猿賀神社
立派な鳥居ですね。
境内の猿賀公園には大きな蓮池があって、毎年7月から8月にかけてたくさんの蓮の花が咲く由緒ある神社です。

 こちらも青森県の猿賀神社ホームページから引用すると、
御祭神は「上毛野君田道命(かみつけぬのきみたみちのみこと)」。
日本書記によると、『田道命は人徳天皇五十五年(三六七)勅命を受けて、北夷の反乱を平定のため東北地方に兵を進めたが、戦利あらず、伊寺の水門(いじのみなと)で戦死なさる。後に大蛇の姿となって暴夷を平定した。』
(猿賀神社 ホームページ

 埋葬された田道命の墓を掘り返すと、遺体がたちまち大蛇になった。
 地元の人が恐れて、鹿角郡猿賀野に祀って産土神とした。
 それから200年後に、大洪水で青森県にご神体が流れついて、現在の猿賀神社に祀られた・・・
と言い伝えられてます。


 鹿角郡猿賀野?
 はい、この猿賀神社の地域は「十和田錦木字申ヶ平(さるがたい)、申ヶ野(さるがの)」。地名も「さる」サルです。
さるがの

 猿賀神社とこの一帯は「田道将軍陣没の地」として史跡標が建てられています。
合戦史跡標



 鹿角から青森・津軽まで洪水で流された。県境の山々を考えるとありえないことですが”史実”として受け止めたいと思います。
 青森の猿賀より鹿角の方が先だったなんて。正月にまた一つ、鹿角の歴史を知ることができました。

 
 だいぶ活動する隊員が絞られていますが、今年もはりきって探検しますので当ブログをよろしくお願いします。



スーパーたんぽこまちでした。

  


Posted by のんびり探検隊2 at 08:00Comments(6)歴史
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