2015年03月19日
受け継がれるもの
鹿角もようやく春めいて来ました。
花輪の商店街の東の高台に櫻山公園があります。眺望に優れ、春には満開の桜で溢れます。
その一角に戊辰戦争の戦没者の鎮魂碑があります。由来を記した看板には、「戊辰戦争で奥羽越同盟に背いた秋田藩の意をただすため、盛岡藩が藩境を超えて進攻したのは、慶応四年旧暦八月九日のことである。この戦いに鹿角郡でも多数の殉難者を生じ、爾来、戦没者を追善供養するための年弔祭を重ねてきた。・・・」とあります。
藩政時代、鹿角が属した盛岡藩は戊辰戦争に敗れました。この地の人々は、逆境の中で新しい時代を迎え、今日まで生き抜いてきました。
人々を支えたものは「由来」にある「意をただす」という信念だったのではないでしょうか。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」といわれるように敗者が全否定された時代にあって、それでも自分たちは正しいという信念が風雪に耐え、幾重もの世代を超えて受け継がれたのだと思います。
(公園の麓の恩徳禅寺にある戦没者の墓)
今はまだ雪に覆われた櫻山ですが、もう一月余りで美しい桜が戻ってきます。
ウォークマンでした。
花輪の商店街の東の高台に櫻山公園があります。眺望に優れ、春には満開の桜で溢れます。
その一角に戊辰戦争の戦没者の鎮魂碑があります。由来を記した看板には、「戊辰戦争で奥羽越同盟に背いた秋田藩の意をただすため、盛岡藩が藩境を超えて進攻したのは、慶応四年旧暦八月九日のことである。この戦いに鹿角郡でも多数の殉難者を生じ、爾来、戦没者を追善供養するための年弔祭を重ねてきた。・・・」とあります。
藩政時代、鹿角が属した盛岡藩は戊辰戦争に敗れました。この地の人々は、逆境の中で新しい時代を迎え、今日まで生き抜いてきました。
人々を支えたものは「由来」にある「意をただす」という信念だったのではないでしょうか。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」といわれるように敗者が全否定された時代にあって、それでも自分たちは正しいという信念が風雪に耐え、幾重もの世代を超えて受け継がれたのだと思います。
(公園の麓の恩徳禅寺にある戦没者の墓)
今はまだ雪に覆われた櫻山ですが、もう一月余りで美しい桜が戻ってきます。
ウォークマンでした。