2013年05月15日
コミュニティーデザイナー 佐藤友信さん
あなたには小さいお子さんがいるとします。
その子が今、家に帰ってきました。
「ただいまー。」
その子が言います。
「おかえり。手を洗ってうがいをしておいで。」
あなたは答えます。
さて、ここで質問です。うがいと手洗いを終えてお子さんが再びあなたのところに帰ってきました。
では、あなたなら次にどんな質問をしてあげますか?
「今日学校で何した?」でしょうか。
「今日の給食何だった?」でしょうか。
あるいは、「今日何してきた?」でしょうか。
この問いかけが不正解というわけではありません。
ですが、子どもとコミュニケーションをはかろうとするためのこのような問いかけを、 もっと実りあるものにある方法を私に教えてくれた方がいます。
松館天満宮三台山獅子大権現舞(まつだててんまんぐうさんのだいさんししだいごんげんまい)の時に再会して一枚。
こちらが、そのお方、佐藤友信さんです。
ご職業は、『コミュニティー・デザイナー』。
先日八幡平市民センターで行われた、「鹿角のエネルギーを考える会」による『シェーナウの想い』上映会の時にお会いしました。
交流会時の佐藤さんご本人による自己紹介では、ある作家の話を引用され、
「キョウヨウとキョウイクが大切である」と述べられました。
教養と教育、と思われませんでしたか?
それはもちろん大切ですが、佐藤さんはその先を歩んでいます。それは、
「『今日、用』があること」と、「『今日、行く』ところがある」、ということが大切である、と。
むむっ、うまいぞっ、と私の目は「キラーン!(-_☆)」となりました。
しかし人見知りKurayaは、席が遠かったので、お話することはないまま終わるのではないか・・・と思いつつ食事をしていました。鹿角でとれたもの満載のお食事でした。
そして再び現れる秋田timeとでも形容したよいのでしょうか、食事会の途中から、「全員が動きまわる」timeが訪れます。席があるのに席に座っている人がほとんどいなくなり(最初に座っていた席に最後まで残っていたのは、木村さんと私でした。)、誰もが畳の上で話し始めます。
この際に八幡平パワーあふれる男性と女性(ご夫婦かと思いましたら違う、と聞いてびっくりなほどの息の合い様でしたので)が、私を1つの輪の中に入れてくださいました。これがほんとの花輪。失礼しました。続けます。
そのグループの話に混ぜてもらっている間に、加わってこられたのが佐藤さんでした。
その後佐藤さんは、大変ためになるお話をしてくださいました。
話をさきほどの問いかけに戻しましょう。
もし、子どもに、「今日何してきた?」と尋ねますと、もちろんすらすらと話しのできる子どももいるでしょうが、中にはたった一言の返事や一単語だけで終わってしまう子どももいるでしょう。
佐藤さんは次のように話してくださいました。
子どもに、
「今日どんな『楽しいこと』あった?」
「今日、何か『良いこと』なかったか?」
と尋ねるようにすること。
「今日給食何食べた?」と尋ねると、「カレー」とか「焼そば」とか、単語で終わってしまいかねません。
「今日の給食何か楽しいことあった?」と尋ねてあげること。
子どもに「うん」や「ううん」と一言で終わらせないような、会話が続くような質問をしてあげること。
そうすることで子どもに考える機会を与えてあげることができるのです。
それは何も子どもに限られた話ではありません。大人であっても、
「今日何か良いことあった?」と同じ日に3人から言われれば、気分が変わっていきます。
「今日どんな『楽しいこと』あった?」
「今日、何か『良いこと』なかったか?」
そして、この問いかけを、一度きりのものとするのではく、
こういった問いかけを繰り返していくことが意味を持ってくるのです。
そう話してくださいました。
佐藤さんは、この他にも色々な話をしてくださいました。子どもたちへの想い、八幡平への想い、森の案内人についてのお話、学校の先生のこと。ここでは最後にもう少しだけご紹介致します。
ぜひ、みなさんも佐藤さんにお会いして、佐藤さんのお話をお聞き下さい。
この5月から、米代新聞に佐藤さんの寄稿された記事が掲載されています。
その名も、
『だんぶり長者になろう』
鹿角のみなさんは「だんぶり」は何かをご存じでしょうが、全国のみなさんでこの「だんぶり」がおわかりになる方は少ないのではないかと思います。
そして、鹿角の方であっても、「だんぶり長者になろう」という言葉に込められた想いは、佐藤さんの記事をお読みになることで伝わると思います。
ぜひ、この連載をご一読ください。そして、佐藤さんの記事へのメッセージや、佐藤さんに直接話す機会をお持ち下さればと思います。
先月、佐藤さんをご紹介するときに、どのようにご紹介したらよいのだろうと思っていた私に、佐藤さんご自身がすかさず答えを運んできてくださいました。
「コミュニティーデザイナー 佐藤友信」さんに、ご注目ください。
最後に、佐藤さんからお話頂いたお言葉を、すべてのお子さんを持つみなさんに。
そして、すべての大人のみなさんに。
子どもの夢を摘み取ってしまうのは、1番が親で2番が教員と言われています。
子どもの夢は米代川のように絶えずして、しかも元の水ではないように、移り変わるものです。
消防署に見学に行ったら消防士になりたいと言ったり、警察署に行ったら警察官になりたいと言うことでしょう。
そのときに、
「それもいいかもしれないね」
「やりたいならいっしょうけんめいおやりなさい」
そう言ってあげてください。
子どものために、夢や希望への道を開いてあげてください。
いつでも人は変われます。この瞬間からも変われるのです。
死後に裁かれるのはその人の「行い」だけではないのです。
人の「考え」や「思い」もまた、裁きの対象となるのです。
「思い」はその人に現れます。「想い」もまた、その人に現れ出てくるのです。
夢や希望に年齢は関係がありません。
生涯教育、自己教育です。子どものためにも、学習意欲を持ち続けて、自分で未来を切り開いていかねばなりません。
今日家に帰ってきたお子さんに、あるいは、今日のお昼休みに隣や向かいの方に、今日の晩ご飯を一緒に食べる相手の方に、私のように部屋に帰っても独りの方であっても、未来のために、ぜひ、佐藤さんのお話を活かして頂けましたら幸いです。
コミュニティーデザイナー 佐藤友信さん応援団員 Kuraya
その子が今、家に帰ってきました。
「ただいまー。」
その子が言います。
「おかえり。手を洗ってうがいをしておいで。」
あなたは答えます。
さて、ここで質問です。うがいと手洗いを終えてお子さんが再びあなたのところに帰ってきました。
では、あなたなら次にどんな質問をしてあげますか?
「今日学校で何した?」でしょうか。
「今日の給食何だった?」でしょうか。
あるいは、「今日何してきた?」でしょうか。
この問いかけが不正解というわけではありません。
ですが、子どもとコミュニケーションをはかろうとするためのこのような問いかけを、 もっと実りあるものにある方法を私に教えてくれた方がいます。
松館天満宮三台山獅子大権現舞(まつだててんまんぐうさんのだいさんししだいごんげんまい)の時に再会して一枚。
こちらが、そのお方、佐藤友信さんです。
ご職業は、『コミュニティー・デザイナー』。
先日八幡平市民センターで行われた、「鹿角のエネルギーを考える会」による『シェーナウの想い』上映会の時にお会いしました。
交流会時の佐藤さんご本人による自己紹介では、ある作家の話を引用され、
「キョウヨウとキョウイクが大切である」と述べられました。
教養と教育、と思われませんでしたか?
それはもちろん大切ですが、佐藤さんはその先を歩んでいます。それは、
「『今日、用』があること」と、「『今日、行く』ところがある」、ということが大切である、と。
むむっ、うまいぞっ、と私の目は「キラーン!(-_☆)」となりました。
しかし人見知りKurayaは、席が遠かったので、お話することはないまま終わるのではないか・・・と思いつつ食事をしていました。鹿角でとれたもの満載のお食事でした。
そして再び現れる秋田timeとでも形容したよいのでしょうか、食事会の途中から、「全員が動きまわる」timeが訪れます。席があるのに席に座っている人がほとんどいなくなり(最初に座っていた席に最後まで残っていたのは、木村さんと私でした。)、誰もが畳の上で話し始めます。
この際に八幡平パワーあふれる男性と女性(ご夫婦かと思いましたら違う、と聞いてびっくりなほどの息の合い様でしたので)が、私を1つの輪の中に入れてくださいました。これがほんとの花輪。失礼しました。続けます。
そのグループの話に混ぜてもらっている間に、加わってこられたのが佐藤さんでした。
その後佐藤さんは、大変ためになるお話をしてくださいました。
話をさきほどの問いかけに戻しましょう。
もし、子どもに、「今日何してきた?」と尋ねますと、もちろんすらすらと話しのできる子どももいるでしょうが、中にはたった一言の返事や一単語だけで終わってしまう子どももいるでしょう。
佐藤さんは次のように話してくださいました。
子どもに、
「今日どんな『楽しいこと』あった?」
「今日、何か『良いこと』なかったか?」
と尋ねるようにすること。
「今日給食何食べた?」と尋ねると、「カレー」とか「焼そば」とか、単語で終わってしまいかねません。
「今日の給食何か楽しいことあった?」と尋ねてあげること。
子どもに「うん」や「ううん」と一言で終わらせないような、会話が続くような質問をしてあげること。
そうすることで子どもに考える機会を与えてあげることができるのです。
それは何も子どもに限られた話ではありません。大人であっても、
「今日何か良いことあった?」と同じ日に3人から言われれば、気分が変わっていきます。
「今日どんな『楽しいこと』あった?」
「今日、何か『良いこと』なかったか?」
そして、この問いかけを、一度きりのものとするのではく、
こういった問いかけを繰り返していくことが意味を持ってくるのです。
そう話してくださいました。
佐藤さんは、この他にも色々な話をしてくださいました。子どもたちへの想い、八幡平への想い、森の案内人についてのお話、学校の先生のこと。ここでは最後にもう少しだけご紹介致します。
ぜひ、みなさんも佐藤さんにお会いして、佐藤さんのお話をお聞き下さい。
この5月から、米代新聞に佐藤さんの寄稿された記事が掲載されています。
その名も、
『だんぶり長者になろう』
鹿角のみなさんは「だんぶり」は何かをご存じでしょうが、全国のみなさんでこの「だんぶり」がおわかりになる方は少ないのではないかと思います。
そして、鹿角の方であっても、「だんぶり長者になろう」という言葉に込められた想いは、佐藤さんの記事をお読みになることで伝わると思います。
ぜひ、この連載をご一読ください。そして、佐藤さんの記事へのメッセージや、佐藤さんに直接話す機会をお持ち下さればと思います。
先月、佐藤さんをご紹介するときに、どのようにご紹介したらよいのだろうと思っていた私に、佐藤さんご自身がすかさず答えを運んできてくださいました。
「コミュニティーデザイナー 佐藤友信」さんに、ご注目ください。
最後に、佐藤さんからお話頂いたお言葉を、すべてのお子さんを持つみなさんに。
そして、すべての大人のみなさんに。
子どもの夢を摘み取ってしまうのは、1番が親で2番が教員と言われています。
子どもの夢は米代川のように絶えずして、しかも元の水ではないように、移り変わるものです。
消防署に見学に行ったら消防士になりたいと言ったり、警察署に行ったら警察官になりたいと言うことでしょう。
そのときに、
「それもいいかもしれないね」
「やりたいならいっしょうけんめいおやりなさい」
そう言ってあげてください。
子どものために、夢や希望への道を開いてあげてください。
いつでも人は変われます。この瞬間からも変われるのです。
死後に裁かれるのはその人の「行い」だけではないのです。
人の「考え」や「思い」もまた、裁きの対象となるのです。
「思い」はその人に現れます。「想い」もまた、その人に現れ出てくるのです。
夢や希望に年齢は関係がありません。
生涯教育、自己教育です。子どものためにも、学習意欲を持ち続けて、自分で未来を切り開いていかねばなりません。
今日家に帰ってきたお子さんに、あるいは、今日のお昼休みに隣や向かいの方に、今日の晩ご飯を一緒に食べる相手の方に、私のように部屋に帰っても独りの方であっても、未来のために、ぜひ、佐藤さんのお話を活かして頂けましたら幸いです。
コミュニティーデザイナー 佐藤友信さん応援団員 Kuraya